秋田県(きりたんぽ県)

我慢強いが派手なことは結構好きで一度決めたら頑張るというのが秋田県民の県民性で、お祭りや民謡も大好きです。秋田の竿かん灯とうまつり、横手のかまくら、男鹿のなまはげは日本を代表する祭りや民俗行事です。

 

「かまくら」と呼ばれる雪の家は絵になる風俗でありますが、いまでは、冬じゃなくとも横手の「秋田ふるさと村」というテーマパークで一年中体験することができます。

 

秋田というと秋田美人を思い出しますが、たしかに、色白で目鼻立ちが整った人が男性女性を問わず多く見られます。ただ、そのわりには、芸能人で秋田出身というのが少ないのが不思議なところです。

 

よく知られたところでは、桜田淳子さんくらいでしたが、演歌歌手の藤あや子さんの出現でやっと代表選手が出たというところ。

 

タレントをたくさん輩出している九州と違って自分を積極的に売り込んでいこうという積極的な自己主張や個性の発揮がないのが芸能界向きでないのかもしれません。

 

県内に瓦葺きの家が少ないのは、豪雪地帯なのでトタン屋根の方が好都合なのです。ただ、南西部の海岸沿いには瓦葺きが多く見られるのは風が強く雪は少ないからです。本荘市周辺には創業者の斎藤憲三が仁賀保町出身ということでTDKの関連企業が多くあります。

 

秋田県はだいたい旧出羽国の北半分ですが、北東部の鹿角周辺だけは陸奥に属し、地名にも「陸中」とつくものがたくさんあります。小坂町はかつては銅山で栄えましたが、「康楽館」という古い芝居小屋が残りかつての繁栄を偲ばせます。

 

県北の青森との県境地帯に拡がる「白神山地」は見事なブナの原生林で世界自然遺産に登録されましたが、立入りが厳しく制限され、観光の対象にはなりにくくなっています。

 

男鹿半島に抱かれるように拡がるのが、八郎潟で琵琶湖に継いで二番目に大きい湖でしたが、干拓され平均で一農家あたり十町歩という大規模米作のモデル地区となりました。しかし、国の減反政策の対象となったことから、厳しい抵抗運動も起こりました。

 

県庁所在地の秋田の郊外には、古代から大和朝廷の北の守りとして出羽柵が築かれ、奈良時代には秋田城と呼ばれるようになり東の多賀城と並ぶ威容を誇っていましたが、平安時代中期の元慶の乱(879年)で焼失し荒廃しました。

 

関ヶ原の戦いのあと常陸から左遷されてこの地に入った佐竹義宣は、低湿地で窪田と呼ばれていたこの地の小高い丘の上に簡素な城を構え久保田と改称しました。これが、明治になって古代の秋田柵にちなんで秋田と改称されて都市と県の名称とされました。

 

交通網の幹線からはずれて人口流出も続いていましたが、最近、新空港、新幹線、高速道路が相次いで整備されて交通は便利になりました。

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